遺品整理

祖母が亡くなった。

85歳という高齢で、重篤な病気はなかったが、誤嚥性肺炎などを何度も発症し、そのたび入退院を繰り返していた。
いわゆる老衰というものだったと思う。

たまたまお盆休み前に有休をくっつけていた私は、その直前に知らせを聞いたため、15日というかなりの大型連休になってしまった。

職場には迷惑をかけてしまったけど、そのおかげで祖母を無事に送り、遺品整理まですることができた。

葬儀を終え、家族で少し休養をとった後、

この際だから、祖母の部屋も少し整理しようということになり、
遺品の整理をはじめた。

遺品といっても、布団、服、おむつ(未開封)やそのほか日用品が多かったが、祖母自身きれい好きな人だったからか、部屋はこざっぱりとし、どこに何があるか分からないといったことはほとんどなかった。

反面、おしゃれが好きだったこともあって、ものすごい量の服に驚かされた。

母は、楢山節考よろしく、着られそうなものは自分が着るといい、整理しつつもあれこれ選んでいた。

父と母と弟と私で、取っておくものと、処分するものに分ける作業は、思いのほかサクサクと進んだ。

明らかに処分のものは、ゴミ袋に入れてたが、分別に困るものはその都度父に聞く。

ほとんどが処分で、不安になった私は

「思い入れとかないの?」

と聞くと、

「ない。もう生きてるときに全部やりきったからない。」

と言う。

少し冷たいような言い方にも思えるかもしれないが、私はすごい事だなと思った。

その後、その言葉が頭から離れなかった。

父は以前から、
「人はいつか必ず死ぬ。死なない人はいないんだ。
死んでから線香をあげるよりも、生きてるうちに精一杯親孝行することが大事だと思う。」

と言っていた。言うだけではなく、実際それを行動しているような人だった。


数年前、祖父が病に倒れたときも、せいいっぱい看病・介護していたし、
祖母に対してもまた同じだった。

父は、祖父が亡くなった時も今回も、涙はもとより、悲しい顔さえ見せなかった。
いつもと変わらず淡々としていた。

きっと自分ができる精一杯のことをやったからこそなのかもしれない。

そう考えると、終末期を迎え、衰えていく親を見つめ、介護し、そして最期を看取ることは自分のためなのかもしれない。

自分が後悔しないために...。



寿命を迎え、亡くなるというのは世の常だ。亡くならない人はいない。

親がどんな状態になっても、その命が枯れるまで寄り添うことが子の宿命なのだなと思った。



そんなことを思いながら遺品の整理を続けたが、取っておくようなものは、写真と少しの貴金属類しかなかった。
パールのネックレスと腕時計は、私が形見としてもらった。

開封だったおむつは、祖母がショートステイでお世話になった施設にもらっていただくことにし、
他は、処分センターに持ち込んだ。

買い置きしてあったポリデントは母方の祖母がもらってくれた(笑)

もったいないから使う。それもアリだと思う。
すべてを処分してしまうのではなく、「使わせてもらうよ。」と言ってくれる人にあげることも一つの遺品整理だと思う。



遺品を整理し終えて思ったことは、祖母の遺品を整理することで、自分の気持ちの整理もある程度できるということだった。

生前の祖母に思いをはせながら、不用なものは処分し、大事だと思うものだけ残す。

それをすることで、遺された者は少しずつ前向きな気持ちになれ、さらに祖母は私の中にずっといる。


初めての遺品整理だったが、祖母からたくさんの事を学んだ気がした。